22.05.04.01
ようやく今日も落ち着いた。現在14:21。
今日は電車で1時間ほど行って、古書即売会に。十数店舗の古書店が集い会場を借りて即売会をやっている。店によって違いはあるけれど大体雰囲気は似ているなと思った。
年齢層は高め、あるいは性別は男性が多いなという印象。知的というか文化的というか硬い雰囲気が漂っていた。古書即売会に行ったのは初。文学フリマにこの前初めて行ったけれど客層はだいぶと違うなと思った。文学フリマはもっと若くて女性が多かったように思う。まあいい。
第3の新人の本があればいいなと思ったけれど、とても探しきれない。右足の裏が痛んでいるし。あまり立って時間を過ごすことができない。なんとなく一冊だけでも買おうと文庫本を買った。300円で。カポーティの短編集。昔一冊読んだことがあったはずだけれどあまり印象に残っていない。短編集だからいいかなと思い購入した。
会場を出て公園で一休みし駅まで歩き電車そしてまた歩き帰宅。
帰りの公園でポテチビッグを食べる。読みかけの本を読み終えて帰宅。
家に着いたらすぐに布団に横になり寝入る。小一時間寝てすっきり。
どこかに出かけると自分が空っぽである感覚になってしまうので、自分の生活を思い返して自分を取り戻す。
水を飲みながら(今日はコーヒーをたくさん飲んでいる)、チャンドラーの『ロング・グッドバイ』の続きを読むことにする。
30分くらい読もうと思う。
明日は畑で雑草取りだ。明後日は歯医者。シンプルな生活。そろそろ小さく花の絵を描いてもいいかなと思っている。
22.05.03.04
朝の勤行と唱題をした。とてもすっきりとしている。30分題目をあげた。
さて、姪っ子のイベントに行くまで3時間ほどある。それまでの時間をどうやって過ごそうか。公園で読書でもしにいこうか。それがいいかもしれない。ちょうど電動アシスト付き自転車の充電が1度分あるから、公園まで往復して充電しようか。
その前にサプリを飲んでおこう。青汁も飲んでおこう。タバコをやめてからサプリを飲むのが止まっていたのでまた再開するとしよう。タバコを吸ってた時ほどビタミンCはとらないけれども。
22.05.03.03
am6:25
母と朝散歩に行ってきた。母との朝散歩の習慣は今月で一年になる。
はじめは住宅街のアヤメの花を見に行くこと。そこから散歩をするようになった。
いまベランダにアヤメを植えている。大体五月に咲くものだと思うけれど、うちのアヤメは咲いてくれるだろうか。今のところ葉っぱが伸びているけれど。
母とゆっくりと歩く。20−30分くらいかけて歩く。いつも同じ道を歩く。
途中にある大きな和食チェーン店のところで腰をかけて座る。そこで5分ほど座って話す。春も夏も秋も冬も歩いた。今年も歩く。この頃は太陽が上り明るくなる時間が早くなってきた。散歩から帰ってきたら新聞を読む。
今日はコンビニまで足を伸ばして軽く朝食を買った。僕が焼きそばパンで母がプッチンプリン。僕は歩いて帰る道すがらパンを食べながら歩いた。母は帰ってから自分の部屋で椅子に腰掛けプリンを食べていた。
一日が始まる。今日はGW後半の初日。憲法記念日。
姪っ子が何かイベントに参加するようなのでそれを母と見に行く。
新聞はもう読んだ。歯を磨いて、髭を剃って、お題目をあげよう。それからのことは、その時に考える。
22.05.03.02
朝が来た。現在am.4:54。体調はこのところなかったくらいにすっきりとして良い。
今テレビでnhkをつけ、コーヒーを飲みながらこれを書いている。
世間はゴールデンウィークだ。私はずっと一生連休なので個人的にはなんらいつもと変わりがないのだが。けれど、世間の空気感が違うと私の感覚も少し変わってくる。うわつくというかな。
先日、「2000連休あると人はどうなるか」みたいなタイトルの本を読んだ。
2000連休とかはあまり内容と直接関係していなかったように感じた。中盤以降からは著者が連休中に考えていたり感じていた哲学的なことが書いてあった。長い休みがあると人はどうなるかという問いに対する答えは、「人それぞれ」というものだろう。
遊び続けることに飽きる人もいれば飽きない人もいるし、悩んでしまう人もいれば悩まない人もいる。
2000連休という言葉になぞらえるなら、私は9000連休くらいしている。
いろいろなことがあったが、割と平凡に生きているようだ。
今スマホで音楽を流しワイヤレスイヤホンで聞いている。いつものようにミスターチルドレンだ。全く気持ちが害されない。作業するのに適した音楽だ。心地よいし。とうのミスチルさんにしてみれば、このような聞かれ方は望むところではないかもしれないけれど、僕にしてみれば素晴らしい曲たちであることに変わりはない。
外が朝日で明るくなってきた。カーテンを開けよう。窓も少し開けて空気を入れ替えよう。冷蔵庫の中にいれていたバナナを一本食べてきた。数日前にファミリーマートで買ったバナナ。
あー、こんな風にリラックスしているとタバコを吸いたくなるな。けれどもう僕にはそんなタバコを吸うようなお金はないし、健康にも注意したいし、やめたんだ。
やめたおかげで、咳や痰はすっかりなくなった。意外なほどあっさりなくなったな。
タバコをやめても咳が残る人もいるけれど、僕の場合は咳は残らなかったようだ。その点、よかった。
もう外も明るくなったし、日課の朝散歩を母としてこようか。
22.05.03.01
夜がやってきた。少し書いていこうと思う。夕方の6時過ぎに眠りについた。蛍光灯の照明を軽く灯したまま。
大きな地震。ガクガクッと揺れる。飛び起きた。テレビをつける。こちらは震度3。母が部屋にやってきて「怖かったな」と言う。こういうとき一人でないのは心強いだろう。
テレビではウクライナへのロシアの侵攻についての番組がやっている。やはり心にグッとくる。早く平和が訪れてほしい。
まだ4時間ほどしか寝ていないので、もうしばらくしたら再び床に就くつもりだ。現在夜の11時56分。もうすぐ日付が変わる。
もう大学を辞めることについて気持ちは固まった。今日割に大きめの動揺がやってきていたのだ。大学はもういい。プライドだけで行っていたみたいなものだから。そんなのつまらない。勉強はどこだって一人でもできるから。
お金の節約に関しても気にしておかないといけない。本はもうあまり買うことはできないだろう。図書館で借りるようにする。何度も繰り返して読みたい少数の本だけ中古で買うことにした。
明日は姪っ子がイベントに出るそうなので、それを母と見にいく。これが唯一のゴールデンウィークらしいことなのかもしれない。それと今日行くことができなかった古書即売会はその次の日に行く予定なので、それも祝日のイベントだ。その次の日は畑の雑草取りと様子見。その次の日は歯医者。歯をセットしてもらわないといけない。左上の歯が3本抜けている状態になっているから。
それくらい。
あとは少し祈って、本を読んで再び眠りにつく。
22.05.02.01
いま午前1:45。昨日は夜10時に寝たから3時間半くらいしか寝ていない。しばらくしたらまた寝ないといけない。
昨日ブログを書き始めたから、まだ全然飽きていない。書きたいことが何かあるのかはわからないけれど、書きたいという気持ちがあることにはある。
昨日は4時間くらい書いていたんじゃないかな。たくさん書いていると、他のことがしたくなるというか、本を読みたくなってきたりする。吐き出してしまったからまた得ないとという感じのように思う。
昨日は最後になんだか抽象的で難しいことを書いてしまった。普段はあんなことほとんど全く考えていなかったのに。
みんな何を考えて生きているんだろう。僕は人と話しをする機会がほとんどないので、あまりそう言ったことの実感が少ない。もっと人と話しをしたいなと思う。話しをすることに飢えている。だからそれを埋め合わせるように本を読んでいるのだと思う。
一昨日くらいから『想像ラジオ』という本を読んでいる。半分くらい読んだと思うけれど、まだ内容がよくつかめない。震災で亡くなっている人たちと生きている人たちが、想像という形で交流するというか、亡くなった人たちの気持ちを想像するというか話しをしたいと言った気持ちでできた小説じゃないかなと感じる。たまに感情的にグッとくるところもあった。僕は本を結構読むんだけれど、あまりこれまで感想みたいなものを書いてこなかった。なんとなく感じただけで終わってしまう。そういうものでも良いとは思うけれど、書いて感想を深めるというのも悪くないなと思う。
とかなんとか言って、とりあえずこのブログを書き連ねることだけを目的に書いている。時間を有効に潰すことができればいい。それくらいのものだ。
またワイヤレスイヤホンでミスチルを聞いている。桜井さんの声が音楽に乗って聞こえている。またコーヒーが飲みたくなってきた。一日に二回は飲む。三回飲んでいるかもしれない。とにかくキッチンに行ってコーヒーを作ってくる。お湯を沸かしてインスタントのスティックの粉を溶かすだけだけれど。行ってきます。
コーヒーいれてきた。美味しい。コーヒーがあるだけでだいぶと違う。さらにいまちょっとチーズも食べている。普通の雪印の6pチーズだ。ちょっとお腹が落ち着いた。
今思ってたんだけれど、書くってことには中毒性があるのではないかなと思う。書いてたら脳内にドーパミンのような快楽物質がドパパーとかチョロローとか出ているのではないかと思う。なんでも吐き出すことは気持ちいいというから書いて思いを吐き出すことも同様に快楽であるのかもしれない。
ちょっと本を読んでくる。『想像ラジオ』
ちょっと眠たくなってきたから寝よう。コーヒー飲んで本読んでたらすぐに眠たくなってきた。初めからこうなることがわかっていたかのように。