22.05.01.04

少し時間的に早いけれど寝る前の睡眠薬を飲んだ。

今日はブログを始めることができただけで大満足だ。できるだけ続けていきたい。そのためには取り止めのないことを書いていきたいと思う。読む人のことは考えない。読む人がもしかしたらいるかもしれないということの意識が自分に少しあるだけで、書く気持ちを持つことができる。

 

今日はこれで5本目の記事なのだけれど、引きこもっていたことも書いたし統合失調症を持っていることも書いたし、最近の出来事であるタバコをやめたことも通信制大学を辞めることも書いたし、本を読むのが好きなことも書くのも少し好きだということも書いた。好きな作家の名前も書いた。寂しさと退屈についても少し書いた。僕の人生の中心にあった悩みについても書いた。働かないで良くて時間があることも書いたし、そんなにお金がないことも書いた。

 

これで僕に関することは大体全部書いてしまったように思える。

あと他には、詩のようなものを書いていた時期があることとか、これは書いていなかったけれど信仰を持っているということもある。snsに日常の投稿をしていることは書いた。母と二人暮らししていることも書いたし、人生で残されているすべきことは母を見送ることと兄弟の子供の成長を願うこと。後は、できるだけ僕の近くにいる人たちが幸せでいてくれること。そのために僕ができる範囲内のことはするということ。

それで大体僕の人生は言い尽くしているのではと思う。

 

僕は特に主張のない人間なのではないかなと感じる。

世の中にある問題なんて解決すればいいだけの話だし、(その解決が難しいのだろうけれど、基本的には解決を目指すということだし)、悩み事も大体のことは解決することができるのではないかと思う。その過程がとてもとてもえげつないほど辛いものであったとしてもだ。

そんなことを言っていれば、結局僕は何も言っていないに等しくて、ただの枠組みだけを説明しているようなものだし、なんの役にも立たないことを言っているのだろうけれど、僕自身の課題としては、受け入れるということが問題だった。それと、理想が高いこと、現実を知らないこと。ここらで僕の頭の問題は示されているように思う。

 

問題は解決する。解決できなければ受け入れる。受け入れられられないなら大変だね。

頑張りたかったね。がんばったね。少しずつやればよかったのかもね。僕には難しかったんだね。欲張りだったからね。怖くなっちゃったからね。病んだよね。一つずつ治していったね。泣いたよね、悲しいことも嬉しいこともあった。日常が送れるなら、問題ないならそれでいいよねと思えるようにもなった。道端に咲いている花がかわいいね。小鳥や猫が愛おしい。自分の中の汚い部分はまだあるけれど、致命的なまで汚れているわけではもうないから、その都度微調整していってる。

 

僕にとって一番大切な人は母だから、家族だから、そこは大切にしていく。

 

結局僕は手に入れることができなかった敗残者なのかもしれないけれど、これでも十分に悪くないし、幸せな時や笑える時もままあるよ。

僕の言っていることが全て正しいわけじゃなくて、でも少なくとも全て一理はあると思う。だから特に言い争いもしたくない。誰も絡んでこないと思うし、自分で自分に絡みにいっているようなものなんだけれど、そういうのも悪いことじゃないと僕は思うからね。

 

もう僕は僕の過去をいじるのをやめようか。今でまあまあ幸せだし。今が幸せならいいんだし。だから結局僕ができてしまうし自分の意見を持ってしまうから、人に僕の思っていることを話すことはあると思うんだけれどね。

 

それぞれの人にそれぞれの言い分が、もっともな言い分が一理はあると思うんだよ。

求め合うなら話し合えばいいし、それが大きなところでは問題にもなっているのかもしれないけれどもさ。あんまりよく僕は知らないんだけれどね。でもなんとなく。

 

こういうことは、普通に働いている大抵の人、忙しくやることがたくさんある人には全く問題にならないことなのだろうけれど、僕にとっては浮かんできたなぁ。

 

結局、僕としてもこのことはこれ以上触れる必要もないし、そんな感じだったんだよって感じで、あらだな日常の具体的なことや、そこから浮かび上がるテーマに取り組めばいいのであって、その過程でつぶさに僕の根幹に舞い戻ることもありそうだけれど、もう僕の中でもこれらは終わっているのかもしれない。

 

僕が僕の問題を解決し終わっているとして。日常をなんとか送っていくだけだから、もう僕の問題は終わっているとして。

他の人のことをついつい僕は考えようとしてしまうのだけれど、大きな問題や厄介ごとや難しいことや喧嘩ごとや面倒ごとを引き寄せてくるかもしれないという予感がしたので躊躇するんだけれど、やっぱりというかなぜか興味を持ってしまう。

他人のことがどうなっているかが気になってしまうからかなぁ。

僕は僕のことだけをやっていればいいのかもしれないけれど、僕はすることがないから、他人のことをあれこれ思うことも思うくらいなら実害がないなら悪いことではないように思う。

 

答えはもう問う前からわかっている感じがしていて、仕方なかったんだなぁってのが答えになりそうなんだけれど、あえて問うてみようかなとも思うのだ。つまらないかな。もう過去に頭の中でやったことのような気もする。

 

つまりは、仕事中毒とか、依存とか、空虚とか、助けるとか、宗教とか、物語とか、真実とか、科学とか、社会とか、問題とか、自然とか幸せとか、楽しみとか、人間関係とか、そういうことを僕は話したいと思っているんだけれども。

 

しかし、なんで働かないといけないんだろうね。

食べていかないといけないから。楽しいから?

やばい、問題が大きすぎるよう。

 

自由になったらいいのにね。自由ってなんだろうね。

一貫性ってなんだろうね。その人って何でできてるんだろうね。

 

でも結局僕は中途半端だから、なんでもいいんじゃないとか、その都度その都度に適当なことを言って自分もごまかしていたりするんだろうけれどもね。

 

死ぬからね。それは救いでもあるけれど、今悩んでいる人たちをなんとかしないといけないと思って大きなことも動いているわけやんね。僕には大きなことは直接関係してはいないけれどもね。だから僕は一つとして宗教活動をしているんだろうけれどもさ。

 

あんまり悩んでいても不幸になるし、僕は頭が良くないことも自分でよく知っているし、もがくほどの体力も気力も乏しいわけだからさ、無責任で悪者的なところもあるんだろうしさ、ほっとくわけじゃないけれど、ほっといているに等しいんだけれどな。

 

僕は何にもわかっていないんだね。そう思って言い訳しているんだね、その言い訳が当たっているかどうかの検討もできないほど能無しだろうしさ。僕は悪いけれど悩み抜いて不幸になりたくないからさ。いいと思えることをやっていくしかないんだ。キーワードは調整ってことで許してや。

 

何書いてるんだろう。こんなこと書くつもりじゃなかったのにな。本音を書いていけばこんなことを書いていた。ということはこれらが僕が本当に言いたかったことであり念頭にあることだったんだろうな。

 

これらが僕の価値観ってやつなのかもしれないな。

怖。

 

あとさ、依存って怖くないですか?中毒って怖くないですか?

特に依存って言葉が怖い。気持ち悪くすらあります。どんな意味合いでこの依存って言葉を使っているのか自分でも明瞭じゃないんですけれど、自分のことはさておいて、概念的に僕は生理的な嫌悪をこの依存って言葉に感じてしまう。この生理的な嫌悪を感じるってことに依存している自分にも嫌悪という刃が向かってくるところに、どうしようもなさが溢れているよ。

 

なんで僕が依存って言葉が好きじゃなくてどちらかというと嫌いなのかというと、自分が消えてしまう印象を依存という言葉に持つからだと思う。だからと言って何にも依存していないまっさらな自分というのはいないというかあり得ないと思うので、僕は深いレベルではなくて、割と単純に低い現実的なレベルで、何か固定的なものに対する恐怖というか嫌悪みたいなものがあるんだろうなと思う。

 

固定的な人。固定的な人は自分の可能性すら消してしまっていると思う。

なんでそんなに確かなものとして自分があるのだ。かと言って全てぐにゃぐにゃで全てが捉えようがなかったら、場が不安定すぎて何も自分が思うことはできないだろうから、結局ここでも僕の思っていることは根本的や究極的なことではなくて、単純に低いレベルの、堅い意見で攻めてくるなちゃんと柔軟に賢く知って対応してくださいよってことが言いたいんだと思う。もしくは自分の親に言いたかったのかもしれない。そんな親を生み出した社会に言いたかったのかもしれない。そしてなんでそんな社会になっていたのかを知りたいし、どうしたらいいのかを考えてみたいのかもしれないよう。

 

それが僕の基本的なところだし、こんなこといちいち表明することでもないんだけれど、ここは一応誰かがもしかしたら見るかもしれないという前提の意識を持つことによって僕の中から生み出されてくる僕の思いを書いているので、それはそれで僕の暇つぶしというか人生ですし。

 

揺蕩っているうちに死んでいくんだ。意味もわからず重要なことをしたりしなかったりして、訳もわからずすごいことが起こったり起こらなかったりして変化していくんだ。なんとなく対応しているし対応していくんだ。そういうもんでしょというのが僕の感性だし、人生だし、こんなことにいつまでも付き合っている必要もないし時々確認したりしていればいいんだろうし。

 

でもこういう基本的なところに触れていると、空虚感は薄れる感じがするな。

虚しくないかな。

 

だからこういうことを書いていくのは悪くて無意味なことじゃないんだろうなぁ。